覚え書き

2023年1月17日から働き始めた職場を2024年2月29日で退職しました。

2024年の年明けの出勤時に1月末で辞めたいと申し出たが後任を探すので2月いっぱいまでいてほしいとの回答があり2月いっぱいまで勤務した。

退職理由はその前の仕事と同じく、経営のやり方がどうしても納得できなかったからだ。以下、覚え書きとして記しておく。二度とこんな仕事はしたくないがこれが現実の一部分であり、常態化した雑な雇用の実態なのも分かったつもりである。

先ずはやたらコマンド数が多いシステムなのにも関わらすマニュアルが一切ない。それらをマスターするまでに3カ月くらい遠隔での指導を受け続ける。物覚えが悪いので逐一ノートに書いて覚えるのだが、うろ覚えな最中にお客の来店や出張、管理責任者としての基本業務以外のイレギュラー業務(社用車の車検や通信システム・プロバイダーの見直し、立ち入り工事等)、5月くらいから担当となったカスタマー対応業務が重なり煩雑過ぎる1日となる。本部からの遠距離の出張指示があり、その結果が不成立であると本部から叱責を受ける、がこれが他の人間の指示通りで予想外の結果であったと伝えると全てが無かった事になる。基本、本部の全社員が同じ指揮系統で動いておらず、人によって言う事ややり方が異なり現場はどちらの指示に従うのかその場でいちいち躊躇が生じる。各支店(福岡、大阪、名古屋、仙台)は本部の東京とオンラインでつながっており、リアルタイムでの業務状況が見れるのだが、そのシステムがありながら応答が無いと叱責の電話がかかってくる。こちらがワンオペでの接客対応が連続していてもだ。「福岡店はアホな業務しかしていない、カスですよ、やってる事」12月末のこの言葉で退職を決めたのだが、この社員の語彙力の無さにこのままここに居ては魂が汚れる、と本当に思った。

入社の際に基本事項として言われていなかった事がある。それは、会社の基本ルールとして管理責任者は全員、リユース検定の合格者であるという事だ。入社した日に「受験しておいてね」というライトなメールが来て、結果が不合格であった為、社長から電話で20分間くらいの長い叱責を受けた。「君の無能ぶりは全社員が知るところだよ」「私に恥をかかせるな」「どうしてくれるんだ、受験料返せ」(受験料の5,000円は自腹で払っている)再度受験させてほしいとのこちらの発言に対し「1度きりだ、2度目は無い」との回答。この入社3カ月目のタイミングで1度、退職の意思を伝えたが他の社員にもう少し頑張ってくれと言われて1年居る事となる。

入社の際にこちらが知らされていなかった事は他にもある。給与面についてだ。厚生年金や社保の天引きがあり、手取りはこれくらい、とざっくりした口頭での説明はあったがその中に税金の天引きは無い、という情報が無かった。なので毎月の給与から税金が支払われているものと思っていたが、入社半年後くらいに税務署から督促状が来た。この給与面に関してのやり取り、書面や文字での記録が無いのだが、こちらから訊かなければ知らされない事なのだろうか。いままで様々な職に就いたが初めての経験であった。

前述のカスタマー業務について、これも様々な業種での「あるある」なのかもしれないが、商品到着の遅れ、不良品、情報と異なる品質、注文間違い、特に到着の遅れは発送を間違いなく行っていてもその後の運送業者の事情によるので謝罪も確認のしようも無い。いずれにせよ何故自分が1日中謝り続けているのか、そんな疑問が浮かぶ間もないくらい毎日がクレームの嵐であった。因みにカスタマー対応に関するマニュアルも無いのでほとんどアドリブで対応し続けた。これも2年目は無いと思った理由の一つである。電話で「友達の結婚式で使おうと思って、商品到着日に会社を休んでまで待ってるのに来ないってどういう事?謝りなさいよ!」と女性に怒鳴られた。カスタマー対応あるあるなのかもしれないが、こちらには対応マニュアルも無ければ耐性も無い。何故自分が怒鳴られているのか、理解できない為この件に関しては一切謝らなかった。

東京、大阪、名古屋ライブ

8月に新宿で2本、9月に大阪と名古屋でライブをやりました。8/24金曜日新宿ロフトにて突然段ボール・蔦木栄一20回忌ライブ、8/25土曜日のデイタイム12時から新宿red clothの20周年記念イベントでThe Hatchとの2マン。どちらも楽しく演奏させていただきました。突然段ボール・弟の蔦木俊二さんはちょうど10歳年上の世代で、周りの方々はもうちょっと年上だからリスナー歴も長く耳の肥えた音楽ファンの方々。20代の頃はこの世代が苦手でした。なにせこちらは若輩者、きっと馬鹿にされてるとか思いこんで単にビビっていたのでありますが、まあ若い頃あるある話しですね。東京ロッカーズという大雑把な括りはいかがなものかと当時から思っていましたが、まあそれも含め30年ぐらい経つとどうでも良くなって、以前の様に「1発ぶちかましてやるぜ」みたいな気負いも無く非常にフラットに演奏できました。突然段ボールの楽曲「飲み水」と「ランダムスコープ」の2曲を遠隔レコーディングして、この日は「飲み水」を演奏しました。そのカバー2曲入りCD-Rは物販にて販売中です。1995年くらいに突然段ボールと出会い多くの共演や共同制作(恋に生きる・名義)を重ねました。亡くなったお兄さんの栄一さんやプロジェクトメンバーだった湯浅学さんは本当に師匠、でありました。福岡や埼玉、東京、それ以外にも長野や茨城、名古屋、と様々な土地で一緒に演奏をしました。その中でPANICSMILE突然段ボールファンの東京ロッカーズ世代の方々から見るとかなり異質だったんじゃないかな、と。まー前述の若者の自意識過剰でしょうけど、何でこのバンドがこの並びで演奏してんの?と思われてると、そういうビビりですね。しかし、栄一さんが何か常に新しいものや若い世代に目を向けてその中に飛び込んでいくのを見ていて、30年経って今の自分がそうである事に気づいて、PANICSMILEのような音楽ジャンル的なマナーもへったくれもない無所属バンドだからこそ相手にしてくれていた事が納得できたのでした。先日のロフトで共演だったグンジョーガクレヨンを見ていても思ったのですが、当時も何度かご一緒させていただきましたが相変わらずとてもピュアでフリーな演奏だった。圧巻だった。そんなにライブはやってないかもですがあの音には音楽ファン全員が触れるべきです。PANICSMILEがロンドンでライブやった時に栄一さんが連絡をしてくれてロル・コックスヒルがわざわざ観に来てくれたり、フレッド・フリスが僕らのオフの日に偶然開催されたショウに招待してくれたりしたのですが、僕らはあんなにピュアでアヴァンギャルドな音楽はやらない。それでもよく来たよく来た!って歓迎してくれて、恐縮しまくりで。でも日本に帰ると、この中途半端なオルタナバンドは何?と先輩方に思われている気がして、と同時にナンバーガールや向井君と一緒に演奏すると、このどインディーの素人バンドは誰?と彼のファンから好奇の目で見られ、、、いやー、若い。今考えると恥ずかしいくらい自意識過剰なんですね。笑

まあそんなこんなで、具体的にはそういった発言は無かったですけど、栄一さんは「そのままでいいんだよ、そのままいっちまえ!」ってそれがメッセージだったんだなと。全肯定の。長くて遠回りだらけの答え合わせだったなあ、やっと2023年8月24日に気付いたの?笑。PANICSMILEは色々あったけど今も最高のメンバーで演奏出来ていて、ずっとあの場所に居ますよ。ありがとうございました。ってロフトのステージから見えた栄一さんの写真に言ったのでした。

先月は新宿ロフトと新宿レッドクロスでPANICSMILEのライブをやりました。

今月は今週末に難波ベアーズと名古屋のブラジルコーヒーにてライブです。今、ギターの中西君とスタジオ練習をやってきました。名古屋は東京のThe Ratelとのスプリットカセットテープの発売記念ライブです。

いつもブッキングしていただいている岩田さんありがとうございます。

この2本のライブで今年のPANICSMILEのライブは終了です。

休憩中に神棚on the wallの戸高君、練習終わりで、ハチマライザーのボーカル君と原尻店長に会いました。ふと思ったんですが、そう言えばユーテロを退職した事は公では特に言ってなくて、ユーテロに出ているバンドマンの人達は、あれ今日も吉田さん居ない日かー。くらいに思ってるんだろうか、と。

説明すると、話が長くなるしね。

ただ東京から帰ってきて10年、ユーテロで働けていたのは出演してくれていた皆がいたからで、本当に皆様には感謝しております。

皆の日々の熱演は忘れないし、沢山の影響を受けました。

今でもしょっちゅう思ってます。またライブハウスに戻りたい。ちょっとだけこぼれた涙をぬぐって腹に力を入れてまた社畜ボタンを押します。

パラダイムシフトとはこういう事ですよね、未練がましいのは良くないよな。新たな若い世代が次の世界を作るのだ。楽しみにしています。

俺はPANICSMILEの活動を頑張ります。

 

 

Please In The Morningナカタニ君への手紙

先日の四次元でのイベント、出演メンツも最初から最後まで筋が通っていて、とても良かったね
また同じメンツで定例会みたいにやったら良いと思うよ、
毎回ゲストで1バンドだけ入れ替える、とかね
お客さんも皆、納得だったと思うよ
うちらはまだBassic Rock Fesより10若い世代だし、二十代、三十代もいるし、凄く未来を感じました。
是非、続けてください。
いろんな人が自分の居場所が無いって感じてると思うんだけど、先日の四次元は俺も含め、みんなここが自分が素でいれる場所だよなーと思ったと思います。
ライブハウスのブッキングはもうロックファンじゃなくてビジネスマンがやる時代になったので(だいぶ前からだけどさ)、自分達で作るのが1番だよ。
そういう場所にお客さんはお金を払いたいし、まだまだやれるよね

次回も楽しみにしています。

ありがとう。

 

 

LINEで送った文章に加筆修正を加えて掲載しました。

生存確認2023年

前回の投稿から1年くらい経ちましたね。

今年の1月に戦場のような前職を辞め、今現在はまたまた地獄のような職場に居ます。今度は自分が現場指揮官だ。

毎日本部からリアルタイムで非情な指示がバンバン飛んでくる。2週間ぐらい居た指導係は全ての業務をレクチャーする前に福岡を去り、その後続出する業務上の不明点を他の人間に問い合わせると何度言わせるのか、と叱責をくらう。もちろんこんな現場にはマニュアルなど無し。そういえば面接の時に面接を担当した人間は1時間遅刻して来ていた。10分前に到着して外で待っていたわたしはその後1時間待たされたのだった。その時の嫌な予感は大当たりだった。

あれから1年経ったのか。思いっきり流行の最先端、コロナ失業者となり1年。賃金が著しく下がったので毎月綱渡り状態で家族の為に働く日々、お腹一杯ご飯食べたい、と思うようになってきましたよ。何?このダイエット。しかしながらPANICSMILEのライブはバリバリと音を立てて続くのだ。年内スケジュールが出てしまったので今年の福岡ライブはありませんが、来年2月の京都・東京ライブまで決まっており、本当に各地の皆様には感謝しております。

Bar BassicのフェスやUTERO、先日の四次元などでDJはやらせてもらっていますが、どこでも居心地の良い場所とは限らない。これって20代の頃自分たちでイベントをやる事によって居場所を作っていたので、つまり何もしないと本当にここ福岡での居場所は無い。

や、まあ自分の偏り加減もあるをだろうけどね。

UTERO勤務時代、多くの若いバンドマンにはこういう話はホントにウザがられるくらいしたんですが、多くの若者達は何もしなかったな。

現場報告

現場の指揮官は何かに追われる様に、大量の情報を含んだ指示を、手短に隊員達に伝える。彼があっという間に喋り終わると、重苦しい低音の声の呪縛から解き放たれた隊員達の頭には既になんの情報も残っていなかった。大枠を受け取ったわたしは、隊員の皆に、彼が言いたかった事は多分こうじゃないか?と伝えると、そこから更に謎が深まり、最終的には一体何が正解なのか分からなくなった。皆それぞれが自分にのしかかるノルマや責任が軽くなる様な解釈の仕方をしているようだった。それも無理はない。皆正規雇用ではなく、アルバイトの兵士だからだ。何故この現場に投入されたのかも分からない、ただただ派遣会社の担当者を恨み、また今日も1人が早期除隊していった。指揮官の指示もまた、状況に応じて細かく変化する。それは更にその上の上層部からの命令が散発的で、思い付き発言に近いからだと思う。細かく変化した命令は前線のアルバイト兵には全てが伝わらず、グループLINEという雑なツールで昼夜休日問わず飛び交った命令や改定事項が生死を分ける内容だったりするので、1名が被弾すると総崩れになってしまう。

指揮官もさぞかし恐ろしいだろう。自分にのしかかる重責に時折、辟易したため息で悪態をついて見せる。ここはとても恐ろしい現場だ。

地獄の中での毎日

6月末にUTEROを退職して新たな職に就き、ライブはMABOROSとPANICSMILEのを計3回、やりました。やれると思ってなかったけど、演奏は普通にできました。

8月は初旬からコロナに罹患して中旬までしんどかった。9月は息を止めたまま全力で走り抜けた。10月の半ばになろうとしているが、まだまだ息はとても浅く、毎日アップアップしている。

これまで30年近く音楽関係の仕事をしてきましたが全くの異業種に転職して、今までの経験や知識が何も活かされないところに居ます。今までの経験や知識がここでは只のゴミでしかない。

経営理念も分からない、現場の責任者も誰だか分からない、指揮系統もめちゃくちゃな、ああこれって訓練無しでウクライナに送られたロシア兵みたいな気分?それなら取り扱い説明書ももらえない機材で間違ったまま味方を50人くらいロックオンしてエンターキー一発で全員殺しました。みたいな事を連日やっている。

コロナによる経営悪化で本当にシャレにならないくらい売り上げが落ちた。出演者の減少と、お客さんの減少、2017年くらいから減少傾向にあったロックバンドは今やソロで出演するiPhoneカラオケ歌手より少ないと思う。

コロナでトドメをくらった感じです。ブッキングという仕事は出演者が居なくなると本当に廃業しかない。出演者が減った数、自分がバンドを組んで演奏をすれば良いっていう話じゃないし、お客が減った分自分がチケットを買って観ればいいっていう話じゃない。ん?何が言いたいんだっけ笑

とにかく、家族を守りたい一心でなんとか無職にならず、職をつないだけど、毎朝毎朝中州方向に自転車を走らせながら己の「心」をぶち殺してロボットみたいな顔でやり過ごしています。まだまだ当分この地獄は続く。52歳、残りはあと20年くらいですよ。

いや、そうじゃなくて自分が今までライブハウスやレコードレーベルの仕事が出来ていたのは本当に、関わってくれていたバンドやミュージシャンの方々が居たからで。本当に奇跡みたいな人生だったんだなと。そう思います。数えきれない多くの皆さんに、今までありがとうございました。